研究概要 |
本科研究の主眼点は、紀元三世紀に国境を接して対峙した当時の二大超大国、ローマ帝国とササン朝ペルシアの政治的拮抗を考察することにある。研究開始以来2年間は、主として1936/39年にペルシアの聖地ナクシュ・イ・ルスタムで発見された碑文『神帝シャープールI世業績録』Res Gestae Divi Shaporis関係の文献収集、およびその記述内容のうち、三次にわたる対ローマ戦争にかかわる政治・軍事的側面からの検討を行ない、『業績録』の史料的価値を高く評価する結論に至った。 本年度は少し方向を変え、かねて論戦の的となっている初期ササン朝の一連の対ローマ戦勝顕彰磨崖浮彫の再検討を行なった。この問題は、ササン朝の宮延儀礼を押えつつ、その背景に横たわる宗教・芸術全般に周到に目配りした上で、図象学という歴史補助学的手法を駆使し、多角的に解き明かそうという試みである。 アルダシールI世とシャープールI世に関係する対ローマ勝戦顕彰磨崖浮彫は、ナクシュ・イ・ルスタムに1面、ビシャプールに3面、ダラブジルドに1面の、都合5面が残在している。論争の焦点はダラブジルドのものをどう考えるか、製作者ははたしてアルダシールI世なのかシャープールI世なのか、をめぐって行なわれてきた。本年度の最大の成果は、この問題をササン朝の支配理念・王権叙任思想との関連で考察しているG.Herrmann女史の画期的論文、The Darabgird ReliefーーArdashir or Shahpur ?:A Discussion in the Context of Early Sasanian Sculptureーー,Iran,7(1969)から多くを得ることができた点である。彼女の結論は「ダラブジルド=アルダシールI世」説である。私見ではこれで論争が最終的決着をみたとは思えないものの、彼女は従来等閑に付され勝ちであったササン朝サイドの知見を駆使し、これまでにない説得的な多くの新見解を提示していて、たいへん示唆的であった。
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