本研究の主眼点は、4世紀間以上にわたって国境を接して対峠し続けたローマ帝国とササン朝ペルシアの政治的・軍事的文化的諸関係を、紀元3世紀において考察することにあった。この目的に向かって、私は次の3点について研究を進め、それなりの成果を得ることができた。 1.1936/39年にナクシュ・イ・ルスタムで発掘された碑文『神帝シャープール業績録』のうち、特に第3次対ローマ戦(260年頃)の記述箇所を、ローマ側史料のギリシア・ラテン語文献と比較分析し、前者の叙述のほうが後者よりはるかに信頼できるという結論に至った。 2.ペルシア的の視点を獲得するため、その支配理念や王権叙任思想を明確に示す一連の初期ササン朝対ローマ戦勝顕彰磨崖浮彫の図象学的再検討を行ない、より緻密で正確な知見を得ることができた。 3.上記のような国家レベルと異なる民衆レベルを視野に収めようとすると、後世大きな影響を持つことになるキリスト教が、ちょうどこの時期、両帝国間をまたがる形で勢力を拡大しようとしていたことに注目する必要がある。結果的に中東世界はイスラム教へ、ヨーロッパ世界はキリスト教へと分岐してしまうが、両宗教の性格の相違・両帝国の宗教政策のあり方も実に興味深い検討課題といわざるをえない。いずれも我が国ではいまだ未研究の分野なので、研究期間の大半の労力は関係文献の収集に費やされざるをえなかった。しかしながら、これまで知識の蓄積があるキリスト教関係については、周縁的領域とはいえ幾つか論文を公にすることができた。遺憾ながら、本研究課題の中核をなす本格的論文は未だ公表するに至っていない。しかしすでに1991年には「皇帝ウァレリアヌスのペルシア捕囚をめぐる一考察」という題目で口頭発表も行なっており、本科研の成果は、今回提出される「研究成果報告書」の内容をはじめとして、これから順次公にされる予定である。
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