研究概要 |
本年度の研究は,中・東欧中世都市生成の歴史的前提を解明するところに力点がおかれた。第一点は,原ゲルマン人のいわゆる避難城が,中世都市発生の起源をなしたかどうかの検証であり,これはザクセン族の居住地の一部について妥当するという結論をえた。その典型が北ヘッセンのフリッツラ-ル,ザクセンのクエドリンブルクなどである。 第二点は,中・北部ドイツ特有の要因として軍道の存在があげられねばならない。すなわち,ケルンを起点として東はマグデブルク,北はバルドヴィ-クに延びている道路で,歴史的には〈Hellweg〉とよばれ,主として8世紀末カ-ル大帝のとき,ザクセン族討伐の軍道として建設されたものである。この軍道には,一日の行程の間隔で王領地が配置され,そこから多くのドイツ中世都市が発生した。その代表がドルトムント,パ-ダ-ボ-ン,ヒルデスハイム,ゴスラ-ルである。 第三の要因として注目されるのが,司教座教会の建設である。ザクセン族のキリスト教化は,カ-ル大帝の活下,徐々に進行した。この過程はわが国ではほとんど研究されておらず,その解明にもっとも苦労したところである。いくたの困難をおして,9世紀初頭に,ミュンスタ-,オスナ-ブリュック,フェルデン,ミンデンなどで司教座が設立され,そこから中世都市が形成されていく過程が明かにされた。 第四点は,中世中期に入って,都市集落を拡大させ,都市生活を現実化させた要因として,国王による市場開設特許状の賦与,それによる経済活動の活発化があとづけられた。 次年度は,これらの諸点を個別都市について検証していく予定である。
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