研究概要 |
本年度は,東欧,とくにポ-ランド,チェコスロヴァキアの都市の起源について研究した。東欧の都市の起源については,これまで,ドイツ都市法の移植に求める「移植説」と,スラヴ人社会の自生的発展を説く「進化説」とのあいだに論争が行われてきたが,第二次大戦後の考古学的発掘調査は,後者の妥当性を裏付けている。本研究は,ボ-リン,スツェツィン,ビスクピン,レドニカ,グニェ-ズノ,レツィカ,ポズナニ,ヴロツワフ,クラワフ,プラハなど主要都市について個別研究を行った。その結果をふまえて,東欧諸都市の発展諸段階の特徴を要約すれば、次の如くである。 まず、これらの諸都市の始源的形態が、いわゆるグロッドであることが判明した。グロッドーグラ-ド,フラ-ド,ガルド,クレンムルなどともよばれたーは、当初,部族集団の避難砦であったが,次第に豪族とその従士集団の居住区となった。頑丈な防壁をめぐらし,よく保護されている場所で,領主の居館がおかれた。第二の段階では,従士や隷属手工業者の居住区が独立した。第三の段階では、市場や商人居住区,教会諸施設が加わって,拡張していく。そして,12世紀に入ると,マグデブルク都市法などドイツ都市法が採用され、市民組識体としての中世都市は完成した。都市形成の要因としては,生産力の上昇,商業の活発化とともに,とくに中世国家権力の成長,その行政機能の集中点としての都市の育成政策が,東欧研究者たちによって強調され,これは都市形成力として商業の役割を重視する西欧研究者とは大きな対照を示している。
|