方言は地方都市を中心としてその周辺地域に広がって行くものである。大阪方言は関西一円に強い勢力をもって広がろうとしている。 江戸末期・約140年前に大阪の女ことばとして生まれた指定(断定)助動詞"ヤ"は今や全関西に広まっている。 本研究は奈良・平安時代からかつての中央語であった京都・大阪を中心とする京阪語がやがて近畿一円に広がって行ったありさまを史的・社会言語学的立場からその現在における状況を見ようとするものである。 そこで本研究では江戸末期の大阪方言の書「浪花聞書」(文政2年・1819年)・「新撰大坂詞大全」(天保12年・1841年)の大阪方言が現在どこに、どのように残っているかを見ることにした。 この「どこに」は大阪市内と、近畿周辺域の福井市・敦賀市・三重県津市・岡山市・鳥取市・兵庫県姫路市・洲本市・徳島県徳島市などとその周辺域の各郡各町に臨地調査を行なった。 「どのように」は語彙の品詞別・また語形態の変形・意味用法の変化そしてそれを使用する人の年令別・性別・職種別について調査した。 さらに約40年前の語彙資料として楳垣実「京言葉」(昭21年)・前田勇「大阪辯の研究」(昭24年)から抜き出したものについても同様の調査を行なった。その結果は「福井・敦賀市・洲本三市方言の動向-大阪弁の広がり-」(甲南女子大学研究紀要第27号・平成3年)・「近畿・中国両方言の表現形式の地理的分布」(「関西方言の社会言語学」<未刊>)に記した。
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