本年度は資料の収集とその整理が主たる仕事となった。調査対象は、岩国徴古館蔵の吉川家文書、金沢市立図書館の加越能文庫、法政大学能楽研究所鴻山文庫、宮城県図書館伊達文庫、茨城県歴史資料館の水戸藩政史料等であり、実地踏査したものも、マイクロフィルムのみを収集したものもある。又、本研究費を直接支出したわけではないものの、大蔵三忠氏蔵書・観世元信氏蔵書・観世宗家蔵書など江戸時代以来続いた能楽名家の伝来文書調査の機会を与えられたことも大きな収穫であった。これらのマイクロフィルムによる収集は、次年度の課題としたい。 上記の諸所の資料(能楽関係資料)の内容は多岐にわたるが、本年度は藩政史料に散見する能関係の資料・記事に主として注目しつつも、それのみにこだわらず、大名旧蔵の伝書・演能資料の類までも、出来る限り広く収集した。それらの調査が江戸時代の諸候の能楽愛好を反映している場合が多いからである。右資料は大半をデ-タベ-ス化し、またマイクロ写真を引伸して、より詳細な内容検討を行ないつつある。 本年の調査・研究を通じて明らかになったのは、次のような事柄である。地方諸藩の能の多くは、江戸幕府における四座一流の能の亜流で、幕府とは別系の伝統を伝える例はほとんどない。室町時代以来、その地の有力役者であったような家柄の者も、藩政確立後は幕府お抱えの家元に弟子入りし、免許を与えられることで藩の御家大夫としての存続をはかったらしく、金沢藩の諸橋大夫などはその好例といえよう。地方の能は、江戸の家元との師弟関係を通じて、封建的な藩制の中での位置付けがなされたとも考えられる。ただし経済力の相違は、中央と地方とでは決定的で、幕府から生活を保障され、拝領屋敷を他人に賃貸し、諸藩より扶持米をも賜わった四座一流の家元とは異なり、地方の能役者の中には下級の浪人層が役者に転身し、武士として出世しようとした者も多い。
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