1、江戸時代の能は、幕府で行われた四座の能、地方諸藩の大名の下で行われた四座の弟子筋に指導された能、地方在住の町衆や農民による神事能、諸国を巡業する群小猿楽役者の辻能の四種に大別される。 2、その担い手は、幕府直属の役者である四座の役者及びその弟子筋と、四座以外の系統の役者とに分かれる。四座の系統の役者がいわゆる玄人猿楽であり、それ以外の役者は手猿楽と呼ばれていた。 3、四座の役者がそれ以外の系統の役者を圧倒し、能に志す者が四座の家元の印可を得るようになり、幕府直属の能役者、その弟子筋のお抱え役者や雇い役者、さらにその弟子の町役者という一枚岩の構造へと、江戸時代を通じて徐々に整えられていくのであるが、その過程がすなわち家元制度の完成過程でもあった。 4、将軍の四座の能愛好に迎合して多くの大名がその弟子の能役者を育成・雇用したため、武士本来の職務から能方に転じる者もあり、また浪人していた武士階級の多くが役者に転身して仕官の道を求めるようになった。 5、このようにして誕生した武家役者は武士とも役者ともつかぬ中途半端な身分であったが、多くは次第に役者として専門化した。養子を迎えて役者の家業を継がせ、自分の嫡子には武士の道を歩ませる者もあった。 6、藩の方でも、神事能大夫に扶持や名字帯刀の格式を与えて藩の制度に取り込んだり(熊本藩の場合など)、辻能の興行を藩当局の権威を背景として藩の役者が妨害・弾圧したり(加賀藩の場合など複数の例がある)、ということが行われた。そうした動きが全国的な傾向かどうか、またいつごろから具体化しはじめるかを解明するのが今後の課題であろう。
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