研究概要 |
平成3年5月24日より6月1日まで、北海道各地に散在するハリストス正教会(函館、札幌、上武佐、釧路、斜里の各教会)を歴訪し、資料の収集と関係者からの聞き取り調査を行った。 同8月19日より25日まで、九州各地に散在するハリストス正教会(熊本、人吉、鹿児島の各教会)並びに長崎のロシア人墓地を訪問し、資料の収集と関係者からの聞き取り調査を行った。 同12月24日より25日まで、大阪府吹田市にある大阪ハリストス正教会を訪問し、資料の収集と関係者からの聞き取り調査を行った。 同5月27日より29日まで札幌市北方圈センタ-で開催された国際シンポジウム「日露間の文化交流、1868年ー1926年:日本人のロシア・ソヴィエト観の源流を求めて」(Cultural Contact and Interaction; Russia and Japan,1868ー1926)に参加し、第7セッション「価植体系」において、「明治の正教会」と題する報告を行い、明治期における正教会の仕事のあとを辿り、その限界の来る所以を述べた。なお、このシンポジウムの報告集は日本、アメリカ、ロシアで相前後して刊行されることになっている。(日本語版は科学研究総合研究Aの成果と共に3月末日刊行予定) 同12月『ロシア手帖』(ロシア手帖の会刊行)33号に、函館において収集した資料と前年レニングラ-ド(今ではサンクト・ペテルブルグ)において収集した資料とをもとにして、「もう一人のマホフ(1)」を寄稿した。マホフとは幕末の函館領事館に勤めていた司祭親子のことで、この論考は息子のイワンの事磧を考証したものである。なお、続稿は目下作成中である。
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