研究概要 |
平成2年度8月にはハリストス正教会の主力教会を擁する東北諸県、特に仙台、金成、石巻、一関、盛岡、大館の諸教会を歴訪し、管轄神父や古くからの信徒を訪ね、資料を収集し聞き取り調査を行った。 同年10月、11月には前橋、高崎、足利など関東諸県ならびに小田原、修善寺、浜松、名古屋など中部諸県、それに、京都、大阪、岡山などの教会を歴訪し、資料の収集と聞き取り調査を行った。 平成3年5月には北海道各地の教会(函館、札幌、上武佐、釧路、斜里の各教会)を歴訪し、資料の収集と聞き取り調査を行った。 同年8月には九州各地の教会(熊本、人吉、鹿児島の各教会)並びに長崎のロシア人墓地を訪問し、資料の収集と関係者からの聞き取り調査を行った。 同年12月大阪府吹田市にある大阪ハリストス正教会を訪問し、資料の収集と関係者からの聞き取り調査を行った。 同年5月27日より29日まで札幌市北方圏センタ-で開催された国際シンポジウム「日露間の文化交流、1868年ー1926年:日本人のロシア・ソヴィエト観の源流を求めて」(Cultural Contact and Interーaction;Russia and Japan,1868ー1926)に参加し、第7セッション「価値体系」において、「明治の正教会」と題する報告を行い、明治期における正教会の仕事のあとを辿り、その限界の来る所以を述べた。なお、このシンポジウムの報告集は日本、アメリカ、ロシアで相前後して刊行されることになっている。(日本語版は科学研究総合研究Aの成果と共に3月末日刊行予定) 同年12月『ロシア手帖』(ロシア手帖の会刊行)33号に、函館において収集した資料と前年レニングラ-ド(今ではサンクト・ペテルブルグ)において収集した資料とをもとにして、「もう一人のマホフ(1)」を寄稿した。マホフとは幕末の函館領事館に勤めていた司祭親子のことで、この論考は息子のイワンの事磧を考証したものである。なお、続稿は「もう一人のマホフ(2)」として同誌34号に掲載予定である。宣教師ニコライの伝記そのものの研究については、この分野の研究自体が緒についたばかりであることから、未発見の資料が余りに多く、そのため期間内に研究を完成させることは出来なかったが、別途、レニングラ-ド(サンクト・ペテルスブルグ)の国立中央歴史資料館において収集してきた報告書、書簡、日記等とこの度国内において収集した諸資料を総合することによって近い将来、所期の目的を完成させることが出来るものと確信している。
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