この研究は次年度に継続されるのであり、現在も東京高裁判決蒐集の中途であり、全体の分析は来年度に行うことになる。しかし本年度蒐集し得た明治20年までの離婚判決を概観することにより、以下のような注目すべき結果を得ることができた。1.全体の判決の傾向として、妻側の勝訴率が非常に高く、訴訟当事者が妻単独である訴訟が明治13年や15年の判決から現れている。婚姻は当事者間の問題である。訴訟類型としては、夫からの離別請求・妻取戻し請求・妻からの離別請求・婿養子(入夫)離別請求・舅去り、以外に婿養子からの離縁拒否の訴や婿養子からの妻離別請求、妻からの同居請求などもある。2.離婚原因について注目すべき若干の判決を挙げると、13年2月19日判決では妻は夫の苛酷暴行を恐れて離縁を請求しているのであり、夫にはこれを拒否する理由はないとする。14年11月2日判決や16年7月31日判決でも夫による打擲を離婚原因と認定している。20年2月28日「夫妻離別事件」では破綻主義的な離婚思想が窺える。夫は妻が姦通したと告訴し刑罰を蒙らしめようとした所をみれば、夫は自ら夫婦の情誼を廃絶したのであるとして、妻の離婚請求を認めている。夫の恣意的離婚を抑制する判決も下されている(13年10月28日・14年5月・19年11月30日判決など)。また裁判所は養家による婿養子の恣意的離縁も抑制するし(16年3月30日判決)、所謂舅去りも否定している(15年12月30日判決)。3.その他として、明治9年9月25日判決には「筑摩県庁ノ裁判不服ノ趣ヲ以て、及控訴」とあり、裁判所設置以前に県庁で裁判が行われたいたことが判決により実証できる。また東京高裁の前身である司法省裁判所の裁判例はこれまで『司法省日誌』などにより断片的にしか知られていなかったが、この度の調査によって明治7年・8年の判決原本を発見できた。
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