日本の戦後の賃金体系の変遷史を通じて世界的に注目されるに至った日本の協調的労使関係を生成史的に分析することを目的としてこの研究は出発した。その際に様々な屈折を経て、民間主要企業に今日ではほとんど一様に観察される職能的賃金の定着のプロセスを個別企業の経験に即して解明する必要から、事例研究として十條製紙(株)と八幡製鉄(株)(現新日本製鐵)をとりあげた。いずれも図式的に言えば、年功賃金→職務給的修正→職能的修正のプロセスを歩んだ。このプロセスは戦後からおよそ昭和40年代半ばまでの夥しい賃金体系上の論争の主要な力点の変動に対応している。2社の関係資料の収集、ヒアリングを終えて、次の諸点が重要な事実であると考えられる。1.戦後年功賃金の問題性は、戦争直後の身分制の徹廃後の従業員秩序が労働の差異ではなくて、生活の必要によって組み立てられていたことにあった。したがって、昭和20〜30年代にかけての年功賃金克服の企業努力は戦後の民主主義の下でいかなる非身分的従業員秩序を構築するかの問題であった。職務給的秩序が職能的秩序に向かうかは経営者の思想により分岐する。労働組合の低抗力は概ね強かったが企業間の相違が大きい。2.上記2社に代表される賃金管理における先進的企業は30年代職務給化の努力が強めたが、それが40年代に職能給化するのは、要員合理化/製品の品質の高度化の必要とそれに伴う労働力活用の効率化の要請と密接な関係がある。3.こうした賃金体系の推移に労働組合が特別の抵抗を打ち出さなかったのは戦後一貫して能力差に応じた賃金差を公平とする日本の組織労働者特有の規範が効いている。しかし、こうした諸点についてはなお、幾つかの事例を比較検討する必要がある。
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