研究を継続する中で、アメリカとの比較が不可欠な課題となり、そのため英文の研究書も必要な限り取り寄せ参照して、特に大量生産技術の問題に時間を割いて研究を進めた。その中で以下の点を明らかにした。 第一に、大量生産方式の導入においてアメリカとドイツの間には予想されたほどの大きな時間的ズレ、工業部門のズレはなかったことを明らかにした。現在、アメリカ式大量生産方式が大きな限界に達している中で、同生産方式の歴史の見直しがアメリカの学者により精力的に行われているが、それらの研究が示すのは、「アメリカンシステム」神話の大幅修正である。これまでアメリカを理想と考えるあまり、ドイツにおける大量生産発達史を消極的に理解するのが通説であったが、本研究は実証を通じて通説に対し大きな疑問を投げかけるものとなった。 第二に、大量生産方式が必要とする工作機械(タレット旋盤、自動盤)などの製造で1870年代以降、アメリカ技術の導入に努力したドイツ工作機械工業は1900年頃までにほとんどアメリカに追いつくとともに、歯切盤などでは世界でまトップの地位を獲得するに至ったことを明らかにした。ここに世界の工作機械工業史における米独両リ-ダ-の時代が始まったのである。 第三に、ドイツにおける工作機械工業の立地を見ると、1870年頃に基礎が作られた四大産地間の力量関係のが変化を、「ケムニッツの時代」から「ベルリンの時代」へという表現で明確にした。これは一方で強固な地域分散性を持つと同時に、他方で電機工業を中軸に大都市になったベルリンを持つ、ドイツ資本主義の地帯構造の変化に対応する生産力基盤の変化を意味するものであった。
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