九州地域における黄檗宗寺院建築の調査研究を従来から進めてきていたので、これまでの研究においてまだ十分解明できていなかった次の3点について、3年度で調査をし研究成果をまとめ、それらを含めて九州地域における黄檗宗寺院建築の歴史的展開過程に関する研究として総合的にまとめあげた。 (1)土間式大雄宝殿(本堂)の空間構成……第1点は屋根形式に関する指摘である。長崎の3つの唐寺の大雄宝殿が当初は低い屋根をもつことを証拠を挙げて明瞭にした。禅堂を独立した一つの建物でもつ地方の中枢的寺院における大雄宝殿の屋根形式は本山萬福寺のそれに倣って二重・上層入母屋造であることを解明した。その他の土間式の本堂の屋根形が一重であることを指摘した。これら3者の屋根形による分類によって、それぞれの大雄宝殿(本堂)の歴史的位置付けが可能となった。第2点はその他の本堂の形式の歴史的変遷を明白にして、中国の建築文化が日本の地方においても導入される過程を明確に指摘した。 (2)門形式……三つの唐寺の表門における形式がかつては「八脚門、入母屋造、瓦葺」であったことを指摘したので、これらは本山萬福寺の総門の形式とは関連のないことが明らかとなった。その他、意匠上で特異な龍宮門形式や「対柱式の石門」と名付けた門形式も旧肥前国地域においてしか見られないことを指摘した。従来門の特異な様式と考えられてきた天王殿について、具体的にはじめて検討した結果、門の機能を有している天王殿の方が少ないことを提示し得た。 (3)棟梁……建設に携わった棟梁によって建築様式に展開があることが具体的に解明できた。 以上三ヶ年の研究成果を含めて、全体を総括して黄檗宗寺院建築の歴史的展開過程をまとめることができた。
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