1986年以降「ドイツ観念論と『秘密結社』」をテ-マに、『鳴門教育大学研究紀要』(人文・社会科学編)に関連する研究成果を発表してきた。86年の「その1」では、ドイツ観念論とフリ-メ-スンなどの「秘密結社」のかかわりを追及することの意味と、その時代にみられる「秘密結社」の基本性格について述べた。88年の「その2」と90年の「その3」では、86年9月から半年の西ドイツ留学時に集めた資料などをもとに、カントとの関連からテ-マを掘り下げ、時評論文や書簡を手掛かりにカントの「秘密結社」観とその背景を探ってきた。 これまでの成果をふまえ、今年度はフリ-メ-スンリイばからでなくヴァイスハウプトの創設した「イルミナ-ト結社」や「ジェスイット」などとカントのかかわりを辿ってみた。その上でカントの「秘密結社」忌避の理由を『宗教哲学』での「秘密」理解や、さまざな「結社」参加者との「論争」から検討してみた。先のシュロッサ-やヤコ-ビに続いて、今回は『人類の歴史哲学の構想』などをめぐるヘルダ-評、『哲学における目的論的原理の使用について』でのG.フォルスタ-との論議などを吟味し、ことに時評論文を読む際の当時の「秘密結社」との関連づけの重要さを明らかにした。 今回の論文では、本科学研究費で購入した「ハ-グ・グランドロッジ」のマイクロフィッシュは入手が遅れたため活用できなかったが、フィヒテの『フリ-メ-スンの哲学』を中心とする次回の論文では大いに役立とう。その際ことにレッシングの『エルンストとファルク』に盛られたフリ-メ-スンの「理想化」の意味を検討し、それがヘルダ-やフィヒテの「フリ-メ-スン」重視とどうつながるのかを確かめてゆきたい。
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