18世紀のドイツ思想を研究する上で、「フリーメンスリィ」などの「秘密結社」の影響は無視できない重みをもっている。ことに強調されなければならないのは、「領邦教会制」の枠を越えようとする、「人間性」なり「世界市民性」の主張への共感である。こうした視点からこれまで、5年前海外留研の際に集めた資料などをもとに、ことに伝承や隠れた主張を重んずる「秘儀結社」の性格や、ヨーロッパでのそれらの思想的影響の概要をたどってきた。 さらに個々の意味を確かめるため、まずカントと当時の「秘儀結社」のかかわりから手を染めた。カントは生涯どの「結社」にも属そうとはしなかったが、忌避理由を探ることから「結社」のその時代にもっていた思想的意味を理解できる。とくに注目したいのは、ドイツでは「神秘的」傾向と「合理的」傾向が、「結社」間あるいは「結社」内の大きな対立点となっていたことである。カントもこうした流れの外に立てなかったことは、合理的・啓豪的側の牙城であった『ベルリン月報』に15篇からの論文を寄せ、ヤコービ、シュロッサーの神秘的な「感情哲学」への批判を重ねていることからも明らかである。 平成2年度までのこうした研究に続いて、3年度はフィヒテと「結社」のかかわりに歩を進めた。若くしてフリーメスンとなったフィヒテは、ベルリン移住後のロッヂでの講演をもとにした『コンスタントヘ手紙-フリーメースンリィの哲学』という論稿を残している。前回は、その16編の検討を行った。今回は、フリーメースンリィのかかわりの意味についてのフィヒテ研究者の見解を知るため、フリットナー、レオン、ミューラー、ハムマッハーなどの研究を吟味した。これに、フィヒテばかりでなくレッシングやヘルダーにまでつながる「メースンリィの理想化」の分析を加え、「上巻」として著書にまとめたい。現在、科学研究補助金の「研究成果刊行費」を申請中である。
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