研究概要 |
本年度は主として次の2点について研究を進めた。 1.楊家将説話が水滸伝の成立に及ぼした影響。北宋初期、北方の遼国との征戦に活躍した楊家一門をめぐる説話は、早く南宋初期から語られ、元曲の幾つかの作品にも仕組まれ、明代に至って小説の楊家将演義として結実する。楊家将演義における楊家一門や遼軍の布陣の仕方は、水滸伝の征遼の段における宋江軍や遼軍の布陣の仕方とよく似ている。征遼戦は楊家将の物語を構成する主要なモチ-フであり,既に説話の段階から存在したと思われるが、水滸伝の征遼の部分は水滸説話の中でもかなり遅い時期に附加されたと堆定される。そこで水滸伝の征遼戦における布陣法は、楊家将説話の布陣法から影響を受け、ひいては水滸伝の征遼の段そのものが楊家将説話に影響されてできたと考えられる。この他楊家将説話の楊五郎や呼延賛の人物像はそれぞれ水滸伝の魯智深や呼延灼に影響を与えた可能性がある。 2.水滸伝の魯智深の原像は何か。水滸伝の魯智深は水滸説話に見られる荒坊主の魯智深像を直接には受け継いでいるが、そこには見られない説教僧や求道僧、果ては破戒僧といった側面も持ち合わせている。こうした魯智深像には、従来指摘されているように元曲西廂記の恵明や同じく昊天塔の楊五郎像が影響を与えている以外に、「趙太祖千里送京娘」(警世通言所収)の主人公趙匡胤の荒武者像や明代の話本「銭塘漁隠済顛師語録」に見られるような、酒色の戒を平気で破るが、仏教の奥義に参じた聖僧像からも影響されている可能性が大きい。水滸伝の作者は以上のように他の説話や小説から様々な細流を取り入れながら、長篇の大河小説を作り上げた。
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