水滸伝は次の三つの段階を経て成立した。(1)水滸説話が太行山麓で発生、(2)更にそれが梁山泊附近で発展し、(3)南方で小説として成書される。水滸伝で魯智深は五台山からベん京に行く途中、近くの赤松林にいた史進の協力で、若い女性を伴った二人のならず者を倒す。女性は自殺したとある。類似の話は、『警世通言』所収の「趙太祖千里送京娘」にも見える。これは次のようである。趙公子が強賊によって太原の道観に幽閉されていた女性を救出し、その故郷の蒲州に送りとどける途中、赤松林の近くでその強賊を退治する。結婚の申し出を公子が断ったために女性は自殺する。以上の二つの話の赤松林はともに太行山の西麓にあり、同一のものを指そう。且つ両者の話の筋が類似する。両者の基になった説話はともに太行山の西麓で行なわれ、相互に混淆したのである。前者の魯智深の話の基になった水滸説話は(1)の段階に属する。 水滸伝の、衆頭領西岳華山を鬧がす場面では、華州の悪徳太守がある娘を妾とし、その父を配流とするが、史進は太守を暗殺しに行って捕えられ、史進を救おうとした魯智深も失敗し、最後に梁山泊の衆頭領が二人を救出する。この話も説話の骨子としては、水滸頭領が若い女性をならず者の手から救うというものだが、最後には梁山泊の救援を受けるという点で(1)の説話と違い、(2)の段階の説話である。(1)の段階ではまだ集団が形成されていないので、頭領たちは独力で、もしくは仲間の加勢で危地から脱出するが、(2)の段階では梁山泊の集団が形成されるので、最後にはその集団が頭領たちの危機を救う。水滸伝は(1)の説話を初めの部分に、(2)の説話を中程に置いた。 宋江の江州配流や征方臘戦などは、(3)の成書時に、水滸頭領の活躍の舞台を南方に拡大しつつ導入された。そして成書に携わった、水滸伝の作者は、船を用いる作戦の多用、漁師の生態の写実的描写等から、南方人であろう。
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