現代の家政学への反省のために、近代以前の日本の伝統文化を省みることによって、将来への展望を開こうとした。そのために、生活文化の代表ともいうべき茶道を調べてきた。 従来の茶道研究は近代主義の枠によって、個別の重箱のすみをつつくような研究であったことが明らかになった。それは素人が素朴に何故と考えることに、伝統です、しきたりですと言う以上のことは何も答えられないからである。一番、顕著なものは、茶碗を何故に二度小さく回すのかということである。これは普通、正面をさけるためと答えられている。しかし、茶碗をよく見れば、正面と裏の区別は相対的なもので、絵がらなどで正面と明らかに分かるものは少くない。我々の研究では、茶道は陰陽五行の枠組に従って行なわれていると仮定する。そうすると、この正面をさけるという話は、正面を南と見たて、飲み口を90゚の東から飲むということを意味することになる。この東という方位は春を表現し、茶そのものが回春の意味を持つことと一致するのである。戦いに疲れた武士が生気を取り戻すという茶道の本来の意味がつかめるのである。 さらに、織部茶碗と呼ばれるもののなかに、沓形と呼ばれるものがある。従来は、その模様が斬新であるとか、クツの形の意匠が面白いとか評価され、何故、沓形であるのかが問われていないことにも気が付いた。沓形にはどのような意味があるのか、沓という文字は靴というはき物を意味するだけでなく、水の湧き出てくるところという意味があることに気が付いた。先に茶には回春の意味があると述べたが、湧き出る水は生きた水、生命のシンボルである。その沓から茶を飲むということは理にかなった。すくなくとも、茶道を初めた頃の人々は考えたのである。このようにして、中国の自然哲学や浄土思想、勿論、禅を含めた思想の條係的な研究によって、茶道文化がほとんど解明された。
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