本研究の目的は、高速イオン衝突の素過程研究の新たな手法としてクラスター標的を導入することにより、特にこれまで困難であった多原子系での複雑な相互作用の詳細を、実験的に明らかにすることであった。そのために、本年度はまずMeVエネルギーの高速重イオンとC60分子の衝突実験を行った。このような巨大な分子との衝突過程では、測定すべき情報量は多くなり、断片的な情報から得られる知見は限られたものとなる。こめような現状を打開するため、多重同時測定システムを開発し、実験を行った。具体的には、(1)衝突により生成された電離・分解片イオンの飛行時間測定、(2)衝突時に放出される二次電子個数、(3)衝突後の入射粒子の価数のトリプルコインシデンスを行った。(1)の飛行時間測定によって、生成されるイオンの質量分析を行うことができ、様々な情報を得ることが出来る。しかし、これだけの情報では、どのような経路を経て最終的な状態へ辿り着いたのか不明である。また、多重分解が引き起こされた場合は、多数の分解片イオンが生成され、それら全てを同定するのは極めて困難であるため、分解前の電離状態すら未知であった。そこで本研究では、(2)、(3)の測定で衝突における電子の放出・移動を全て把握することにより、C60の初期電離状態を得た。即ち、イオン衝突によるC60分子の多重電離確率分布を初めて測定したことになる。この分布の形状は特徴的であり、孤立原子の多重電離確率分布と、固体表面からの二次電子放出個数分布の両方の性質を持っていた。これはC60分子が、遠隔衝突では孤立原子的、近接衝突(分子内部透過)では固体的な振る舞いをするという、二面性を持っていることからくる特徴であると考えられる。また、トリプルコインシデンスでは、初期電離状態とそこから生成される分解片イオン分布の相関を得ることが出来る。それによると、分解過程は初期状態のみからでは決まらず、衝突によって付与される内部エネルギーの寄与が大きいことが分かった。いわゆるクーロン爆発分解のみではなく熱的分解が重要であることが新たに分かった。
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