本年度は、スピン-軌道相互作用の観点から、分子、金属錯体におけるスピン転移のメカニズムについて理論的に考察した。その内容は以下の通りである。 1.ふたつのジフェニルカルベンがスタックした構造を有するビス(フェニルメチレニル)[2.2]パラシクロファンは、低スピン(1重項)-高スピン(5重項)ギャップが小さいこと、一般にカルベンはスピン-軌道相互作用が大きいことにより、スピンクロスオーバー錯体と同様、光により低スピン-高スピン転移を起こす可能性があると考えられる。そこで、ジフェニルカルベン2量体をシクロファンのモデルとしてスピン-軌道相互作用の解析を行った。その結果、1重項-3重項励起状態、5重項-3重項励起状態間のスピン-軌道相互作用が大きく、ビス(フェニルメチレニル)[2.2]パラシクロファンで光によるスピン転移が起こる可能性を見いだした。 2.スピンクロスオーバー錯体の中には光によってもそのスピン状態を変えることができるものがある。このようなスピン転移現象は"Light-induced excited spin state trapping"(LIESST)と呼ばれており、メモリやスイッチ素子としての応用の可能性に期待が持たれている。LIESSTについて今まで多くの研究がなされてきたが、そのメカニズムについては未だよくわかっていない。スピン転移においてはスピン-軌道相互作用の大きさが重要な要素のひとつであることに着目し、スピンクロスオーバー錯体のひとつである[Fe(2-pic)_3]Cl_2・EtOHについてスピン-軌道相互作用の解析を行った。その結果、以前に提唱された3重項最安定状態を直接経由するスピン転移の経路は不利であり、3重項励起状態がLIESSTにおいて重要な役割を果たしている可能性があることがわかった。
|