十三世紀にノヴゴロドは、バルト海でのノヴゴロド商人の権利の確保を放棄し、通商政策を転換することによって、ハンザとロシア諸国との間の中継貿易を独占することに成功した。しかし、この際に考察の中心となるのは、バルト海や河川を利用する水路貿易であり、陸路貿易が考慮されることは少ない。しかし、陸路という要素にも目を配らなければ、ノヴゴロドの通商政策を含む貿易の全体像を明らかにすることはできない。そこで陸路についての考察を行い、通商政策の再評価を試みることにした。 陸路はリフラント地方を通るルートをとるかたちで、十三世紀にはすでに利用されていた。それにも関わらず、リフラント地方の諸都市とノヴゴロドが外交交渉をすることができなかったため、この時期の条約には陸路に関する規定はほとんどみられなかった。 十四世紀になると、ハンザ商人だけでなくノヴゴロド商人による陸路の利用が盛んになった上に、リフラント諸都市がハンザを代表して外交交渉に関与するようになると、条約にも陸路の記述がみられるようになった。 十三世紀に中継貿易の独占を指向した結果、ノヴゴロドはリフラント地方におけるノヴゴロド商人の権利の確立の可能性を放棄してしまったことを考えると、この時期の通商政策の転換を単純に成功と評価することはできないといえるだろう。
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