本年度は、重症障害新生児に対する制限的治療ないしは治療の停止に関するガイドラインの作成するプロジェクトの一端を担い、来年度のガイドライン策定へ向けての下準備として、この問題に対する理論的検討、および実務における実態の調査を行った。 実務の場としては、重症障害新生児が誕生し、治療が施される場(NICU)を複数箇所訪問するとともに、その後、社会の中でどのような社会的支援とともにあるのかを、全国にある複数の施設を視察した。実際に施設を利用する障害を抱えた人びとと面談し、またそこで働く医師、看護士、心理士等々スタッフとのインタビューをすることで、実務における実態の把握に努めた。さらに、重症障害新生児に対する治療拒否の事例(新生児の親と医療者側との意見が食い違った)が実際に生じ、これに携わった。 この問題に対応する法律が我が国において不備であるが、この状態の中で、現状の法制度、行政システムの利用可能性についても検討を行った。このケースについては、いずれ報告をすることになるが、高度にプライバシーの問題をはらんでいるため、慎重に行う必要があると考えられる。 理論的検討においては、欧米諸国における重症障害新生児に対する制限的治療ないしは治療の停止に関するガイドラインの翻訳、或いは関連する判例、その他論文、資料の収集および翻訳作業を行い、その成果は玉井真理子編『重症新生児の治療停止および制限に関する倫理的・法的・社会的・心理的問題』に収録されている。 さらに、この問題について、ガイドライン策定をするにあたっての、法哲学的意義および法哲学的アプローチのあり方について検討し、その内容は北海道大学で行われた「第64回バイオエシックス懇話会」をはじめとした複数の研究会にて報告を行った。 具体的内容としては、意思を表明することのできない新生児に対する治療の制限ないしは停止という意思決定を、誰がどのように行うべきであるのかについての、規範的検討を行った。具体的には、児の家族、他職種にわたる医療スタッフとがこの問題について検討し、決定を行う、と一般に考えられるが、なぜ彼ら/彼女らがその決定を行い得るのかについての規範的検討は、きわめて困難な作業である。一定の関係下においては、一方は他方に対して一方的な規範的義務と責任とを負う、と考える関係性の権利と責任の理論は、博士論文の段階では、その典型例として民法上の扶養義務、或いは不法行為における無カシス責任の問題を掲げたが、本年度における取り組みの中で、この理論の適用可能性を知る上で、大きな知見となった。このことは、関係性の権利と責任の理論を構築する上できわめて重要な知見である。また、ウィスコンシン州で策定されたこの問題に対するガイドラインを上記『重症新生児の治療停止および制限に関する倫理的・法的・社会的・心理的問題』にて翻訳したが、そこから生ずる上記規範的検討については、野崎/飯田他編『生命・環境・科学技術倫理研究VII』にその成果が掲載されている。
|