学会発表は2回行った。 (1)「江戸座の業俳の活動-酒井雅楽頭家の文化圏-」(日本近世文学会春季大会2003年6月8日 於清泉女子大学) (2)「<富士筑波>という型の成立と展開」(第5回国際浮世絵学会大会2003年6月29日 於学習院大学) (1)では、酒井抱一の兄忠以が江戸座俳諧のプロ俳人によって添削を受けた句稿を紹介し、当時の俳壇状況を説いた。学際的分野を扱った(2)は、美術史系列の国際学会で発表した。 論文は4本執筆した。 (3)「江戸座の解体」 (4)「江戸座と姫路藩家老」 (5)「抱一・其角のかたられ方」 (6)「<富士筑波>という型の成立と展開」(『浮世絵芸術』148号に投稿中) (3)は、抱一と同時代の江戸座俳諧の俳壇の考察で、俳壇史記述の基礎となっている資料に疑義を呈した。 (4)は、抱一の家来で江戸座俳譜に参加していた姫路藩家老永田成美(俳名は祇国)の子孫を調査で探り当てた成果。祇国がその交流で獲た短冊帖を詳細に紹介した。江戸座俳諧に参加した大名の資料はあるが、伝来が確かな武士の資料は初。未開拓な江戸座俳人の筆跡研究のため、論文巻末に筆跡資料を影印で掲げた。 (5)では、明治二十年代から戦前までの抱一・抱一が私淑した其角の俳諧が、どのように論じられてきたかを論じた。正岡子規と岡野知十の抱一・其角をめぐる言説が、表現論と文化論にそれぞれ立脚したため相反する価値観が形成され、それらが研究者と好事家・小説家に個別に引き継がれていった過程を述べ、現在の研究上の価値観にも及ぶことを論じた。 (6)は(2)を論文化したものである。抱一やその周辺(交流のあった谷文晃など)の絵画によく見られる江戸というエリアから富士と筑波とを対にして描く型が、和歌・漢詩・俳諧などの言葉との相関性の中で、いかに形成されてきたかを論じたり論文執筆のため、海外(北米)での絵画の最終的な作品調査を行った。
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