今年度は、植民地主義が刻印したものを、現在の問題として記述する方途の模索という視角に基づき、以下の理論的な諸観点を深化させた。植民地主義を現在の問題として記述することは、脱植民地化をおしすすめる視角と記述を探ることである。台湾タイヤル族と日本人の間の、脱植民地化運動の記述には、日本人側の呼応の動き、あるいは無視の動きの分析が不可欠である。 さらに、レオ・チンの研究から、脱植民地化の方途には、植民地状態を正当化する認識論(自己と他者の二分法的な認識)の分析が不可欠であることを得た。人類学的知識は、日本人と被統治者の二分法を強化させ、植民地統治と密接不可分の関係にあった。よって、人類学史をこの観点から批判的に検討することが重要になる。運動の記述に関しては、過去と主体の関係が検討された。M.タウシグや、岡真理の研究は、主体が過去を自由に操作するのではない事態を検討している。過去は流用されるが、同時に主体を占有するものであり、暴力の概念をここに適用されうる。タイヤル的、日本的主体の動揺は、ここにおいて浮上している可能性がある。 後期、米国カルフォルニア大学での研究において、白人支配化にある米国における白人性について検討した。ドミナントな立場にあるものが、脱植民地化運動に参加するには、マイノリティの暴力経験を理解すること、あるいは感知する感性が必要である。白人性の検討は、東アジアにおける日本植民地主義の検討に重要な参照点をもたらす。 以上の各点--植民地的認識論の解体、過去と主体の関係性、マイノリティの暴力経験の理解--を統合する記述がいかにおしすすめられるのか。この点を本研究は、近年の人類学や文化研究が文化の詩学を検討していることに注目し、実践的な記述戦略について読書量をこなしてきた。文学や美学の記述・描写戦略から、脱植民地化の可能性を模索する視角と記述が追求されることが要請されている。
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