今年度における研究の概要は以下のとおりである。 1.英国植民地下におけるイスラム法の整備 英国植民地下におけるイスラム法制度は、他の世俗法と同様に立法および判例を通じて整備された。制定法の内容は手続法に関する規定が主であり、実定法についてはほとんど定めていない。裁判において実定法が争点となった場合には、当時すでに英訳のあったイスラム法の文献に依拠して判決を下すことが多かったことが明らかであるが、その際に依拠される文献はマレーシアのムスリムの大半がシャーフィイー法学派に属するにもかかわらず、ハナフィー法学派の法律文献であった。これは当時の英国植民地政策にマレーシアのイスラム法が必然的に制約されざるをえなかったことを示す一例であると考えられる。すなわち、ムスリム人口の大半がハナフィー法学派に属するインドでの英国の植民地経験が、マレーシアでのイスラム法政策の基盤を形成していたことは否定できない。 現在のイスラム裁判所制度の原型となった当時の裁判所制度は直轄植民地と間接植民地とでは異なる。スルタンを擁しない直轄植民地ではイスラム法裁判所ではなく世俗法裁判所でイスラムに関する事件が処理されていたのに対して、スルタンがイスラムの長である間接統治の形態の諸州では現在の裁判管轄権に比べれば非常に限定されてはいたもののイスラム法裁判所が設置された。 当時の植民地官僚によって書かれたイスラムまたはムスリムに関する文献は、当時のムスリム、すなわちマレー人の法はイスラム法よりもアダット(慣習法)に従っていたことを強調する傾向にあったといえる。かような文献が現在の一部にみられる「イスラム法/アダット」という区分に少なからず影響を与えていると推察される。今後はこの点につき厳密に批判的に検討したい。 2.現在の研究状況 2003年9月よりロンドン大学SOASに滞在し、英国植民地時代のマレーシアの法政策および法制度について、ロンドン大学図書館および大英図書館の資料を利用して研究をすすめている。
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