研究分担者 |
HUGHES Terry リンカーン大学, 畜産学科, 講師
WILLIS Richa ヴィクトリア大学, 地理学科, 助教授
岸田 芳朗 岡山大学, 農学部, 助手 (10116460)
玉 真之介 弘前大学, 農学部, 助教授 (20183072)
坂口 英 岡山大学, 農学部, 助教授 (40170584)
猪 貴義 岡山大学, 農学部, 教授 (90033381)
渡辺 基 岩手大学, 人文社会科学部, 教授 (40048088)
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研究概要 |
1984年以来ニュ-ジ-ランド政府は、巨額の外国債務の累積と対外貿易不振などに起因する財政窮迫を打開するために、徹底した経済合理化政策をとった。為替の変動相場制の導入,各種国営企業の民営化、金利の自由化、補助金撤廃などである。この政策は、1990年の政権交替後も変化はない。 農業においては各種補助金が廃止された。とくに最低価格補償制度は財政的に支払い不能状態にまで陥っていたため撤廃された。加えて低利制度資金の廃止、高率の利子負担、生産物の国際市況の軟化などの悪条のもとで、農家は実質収入の大幅減に耐えて生き残らねばならなかった。しかしながら政治的圧力団体である農民連盟は政府の自由化政策を支持した。その理由は、畜産物が依然として輸出品目の根幹をなすニュ-ジ-ランドでは、国際競争に勝つことが農民の所得向上につながるから、ウルグアイ・ラウンドの目標である輸出補助金の廃止、輸入障壁の撤廃に焦点をあてれば、当面の苦境は忍ばねばならないとの判断をしたからである。 1980年代後半の農業経営に認められる大きな特徴は、家畜構成の変化と支出節減である。乳製品の輸出不振のため生産制限が初めて実施された。羊も不振のため肉牛が補完的に増加してきた。そして1970年代に始まった鹿飼養が1980年代を通じて著しく増加した。いかなる家畜の飼養であれ、同年放牧の草地農業であるために、家畜構成が変化しても農場の形態には変化がなく、鹿を飼養するには当該牧区のフェンス新設のための追加投資ですむ。かつて牧場の一部転換によるキウイフル-ツ果樹園の造成は、キウイフル-ツの価格下落のため新設は行なわれていない。草地維持のための施肥は、肥料補助金撤廃のために節約され激減した。それは当然牧草生育量を低下させ、したがって家畜収容頭数を減少させるが、とくに羊農家はそれによって対応せざるを得なかった。前回および前々回調査農家の追跡調査の結果、経済状勢変化に対応して離農ないしは経営縮少をしたもの,鹿農場に転じたもの、従来の経営を拡充したものなど、条件の差によって相違が認められた。概していえば、1980年代が終り1990年代に入るとともに、農業はようやく最悪の状態を脱したと見られる。 畜産業関連企業の代表として乳製品工業と屠殺・冷凍工業がある。1980年代の乳製品輸出不振を機に、乳製品工場の大規模な整理統合・大型化が進んだ。会社はすべて生産者出資の協同組合が設立したものであるが、相互間に競争もあり、会社は効率的経営と生産者還元の増加をはかって合理化を進めた。その結果10年間に会社数は半減した。他方、屠殺・冷凍工場は、一部の協同組合系を除けば通常の民間企業で、外資系もある。その新設・閉鎖の動向はめまぐるしく、必ずしも大企業への統合ではなくて,大企業の閉鎖、小企業の生き残りも見られる。乳製品工場よりも労働集約的であるから、雇用機会の少い地方町では、工場閉鎖・失業者発生の影響は深刻なものがある。 過去ニュ-ジ-ランドがその好適な風土に加えて科学的農業を推進し、典型的な先進的畜産国に成長した歴史を踏まえつつ、第1回(1985年)、第2回(1988年)に続いて第3回調査が実施できたが、時あたかも同国未曽有の経済激変の時期にあたり、これを直接克明に見聞・記録することができた。元来強靭な畜産業の体質を育ててきたので、苦境を越えて国際競争に立ち向かっている。これはわが国の範とすべきであろう。 今回の調査では、政府(農水省)、各種ボ-ドから政策や現況を聴取し、大学・研究所等から最新の研究成果に関する情報を多く得たほか、企業からもそれぞれ事業動向を知りうる資料を得た。技術面では、例えば牛のロ-テ-ショナル・ブリ-ディングについて、また害獣であるオポッサムの棲息状況や対策について、興味ある資料を得た。さらに土地利用については、個別農場や一定区域のみならず、一般的に利用競合や利用変化、また地形地質と土地利用の関係から発する災害の状況と分布その他の問題を把握するために広域的視察を行ない、成果を挙げることができた。
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