今年度は、主に、1)従来からの継続として、シベリアの前期・中期旧石器、及び酷寒期への適応の戦略をさぐる上で重要な細石刃石器群の資料の集成をさらに進めた結果、集成図録(1)としてまとめられた。細部にあって新しい知見もあるが、昨年示した「人類の北方への移住と拡散」に関する見通しは、本年度の研究においても基本的変更を要しない。2)新たに、シベリア・中国北部に広がる「石刃鏃文化」の遺物を集成し、その成立過程を研究する。北アジアに広がる石刃鏃文化の地域的性格を抽出・弁別し、「集団」の動態的分析を行い、モデル化を試みた。その概要を示すと、次のとおりである。 a)石刃鏃文化が北海道を越えてエトロフ島(キトヴォエ遺跡)に達していたことを示す確かな証拠である。 b)サハリンにおいても石刃鏃を出土する遺跡がかなりの数にのぼることが判明した。調査が比較的進んでいる南サハリンで言うと、ほぼ全域に広がるとみられる。立地条件やの条痕文をもつ土器などから、北海道の石刃鏃文化の広がりの中でとらえることができる。 c)北東アジアにおける石刃鏃とそれに伴う遺物は、遺跡ごと、地域ごとにかなり複雑な様相を呈している。その伴出土器によって、隆線文土器を特徴とするグル-プ、菱形押捺のアム-ル編目文土器を特徴とするグル-プ、櫛歯、もしくは弧線ジグザグ文土器(之字形箆点紋)を特徴とするグル-プ、網目・絡条体圧痕文土器を特徴とするグル-プに大別することができる。「石刃鏃文化」内部にみられる「文化圏」と「北方モンゴロイド」の特定の集団を結び付ける作業は性急に過ぎるが、新石器時代の初期(少なくとも7〜8千年前)にそれぞれの地域に適応した集団が分立していたことは疑いない。アム-ルランドは、ネットワ-クの要衝の役割を果たし、その後の歴史的枠組みの基本を完成させている。
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