研究概要 |
バシリカ法典には、多数の(ユースティニアーマス法典には記述されていない)具体的設例が含められていることが次第に明らかとなってきた。例えば、C.2,23,1(194年)に対し、B.10,6,1本文は、その具体的事件の再構成を試みている。これが、古典期勅法の原本に記載されていないものとすれば、ビザンツ法学が、法学的考察において高い水準をもっていたことを証することになる。また、このような事例が、西欧のローマ法復活直後の11世紀-13世紀にも考えられ標準注釈と並んで、その法学学習に大きな役割を果しているが、その類似性はおどろくものがある。これらを比較することによって、ビザンツ法学の特色が一層明らかとなるであろう。 また、ユースティーニアーマス帝法典からの意図的改変について、ビザンツでの法変更-とりわけ勅令-によるものが、いくつかあることが明らかとなった。例えば、解放の期限としての古典法・ユ帝法の100日が、30日になっている(B.10,4,3,8)ことはそのひとつと考えられる。しかし、ビザンツにおける数字表記の不たしかさもあり、写本による異同もふくめてて今後検討したい。 なお、ビザンツ研究の、16世紀以来の展開につき、とりわけ、フランス人文主義の高まりの中で成立したクジャスのビザンツ法研究がその後維持されなかったことについて、従来、ドイツの政治体制(ローマを尊重する傾向)との結びつきがいわれてきたが、西欧の文化政策全体の中で考える必要があろう。
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