研究分担者 |
片桐 一男 青山学院大学, 文学部, 教授 (70118719)
佐藤 達策 日本大学, 松戸歯学部, 教授 (10050022)
板倉 聖宣 国立教育研究所, 科学教育センター, 研究室長 (00000042)
吉田 忠 東北大学, 文学部, 教授 (60004058)
中山 茂 神奈川大学, 経営学部, 教授 (40012348)
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研究概要 |
これまでの研究成果を各自分担研究者が完結するとともに,総合的に展望する努力がなされた。ここでは,総合結果の特徴について略述する。 南蛮文化導入期から顧ると、鉄砲のように直接入ってきた科学技術もあるが,中国に渡ったイエズス会士の中国語による著作の影響が重要である。その消化をとおして,江戸時代前期にはルネサンス頃までの西欧科学は基本的に理解された。特にマテオ・リッチの果した役割が大きく映っている。 第2期<蘭学期>には,オランダ語原書を日本人が直接訳したが,中国語訳の先例を探し,新語を造ることには消極的であった。しかし科学革命後の知識を消化するには,イエズス会士時代の訳語では対應しきれず、止むを得ず新造語に踏みきっている。その過程について,音訳から義訳へ訳し直す傾向が見られる。また、直訳を志向しつつ,既存の義訳の蓄積も大いに活用されていた。アヘン戦争後,中国へ進出した英米の新教徒宣教師による中国文の西洋学術啓蒙書の存在も忘れることができない。『海国図志』などの清朝知識人が西欧に学んだ著作を含め,わが国に渡来し,19世紀の西欧科学技術を伝え,影響が著しい。 明治に入って、外来学術用語の導入が多方面にわたり,中には鉄道のように維新前には全く欠除している分野もあって、それこそ新しい訳語の続出を迎えた。他方,教育上,情報流通上,標準化が必要になってきた。政府直接ではないが,学協会を通じ,権威側で進められた。1880年代から開始された東京数学会社のような例もあるが,訳語の統一が活発化するには20世紀に入る頃からである。そこでは,先例として中国語訳を考えず,造語された。むしろ中国人の日本留学生などの手で日本語訳が中国語の中に定着したりした。
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