研究課題
芸術における表現行為は、ミ-メ-シス的解釈から脱却するための反動から、従来ややもすれば私秘的主観性の行為の極北とみなされがちであった。間主観性の方面からの表現の問い直しは、われわれの場合、主に二つの方面から従来の表現解釈を克服せんとした。第一は、分担者の担当する芸術の各ジャンルにおいて、表現の間主観的現象を洗い出すことにあった。水島裕雅は広島出身の文学者原民喜の俳句を素材に、歳時記というかたちでまとめられている季節感として間主観性を論じた。原正幸は、中国古典の音楽美学の側面から、儒家的音楽観に対抗する道家的音楽観として『灌南子』をとりあげ、それが音楽と人間の心の関係を主題とした点に注目し、表現される感情を個人的レヴェルと社会的レヴェルに整理しながら、これらがいかにして文あるいは演奏へと昇華されてゆくかを分析した。したがってここには表現内容における間主観性と表現としての間主観性が分けられる。渡部望は19世紀フランスの人気作家Eugene Sueの作品『民衆の秘密』をとりあげ。「エクリチュ-ルの変質」(Barthes)以前の最後の局面に焦点をあて、虐げられた民衆の正義を、むしろ民衆史に類する手法で描き出すところを、文体分析を通じて明らかにした。青木孝夫は世阿弥の『松風』をとりあげ、その演劇手法におれる、アニミズム的霊的根源性の構造に言及し、筋浩成を第一とする西欧演劇との異質性を明らかにした。それは意識の下底にある間主観性の顕現ということもできる。第二は、原論的考察である。高橋憲雄はプラトンのロゴスとディアロゴスの論じ、表現の重層性という観点から哲学的表現の間主観的側面を明らかにした。金田晋はE.Husserlの間主観性の概念を、日本の哲学者の同概念の受容をも視野にいれながら、整理した。
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