インドのパーラ朝の仏陀(如来)像の図像学的研究を中心に研究を行った。出来る限り多くの作品の写真資料を収集し、それを分類整理することから始め、その分類に基づいて図像学的検討を行った。その結果、以下のように体系づけられることが明らかとなった。 (1)「単独の釈迦八相像」として、成道釈迦坐像を主尊とし、その周囲に他の七相の仏伝を表す「成道釈迦を主尊とする釈迦八相像」の作例が大層多いが、立像釈迦を主尊とし、その周囲に八相の幾つかの仏伝釈迦を表す「立像釈迦を主尊とする仏伝釈迦像」の作例もある。 (2)「単独の仏伝釈迦像」として、誕生・降魔成道・初説法・千仏化現・従〓利天降下・酔象調伏・〓猴奉蜜・涅槃の八相の場面をそれぞれ単独で表した釈迦像の作例が相当数ある。この八相以外の場面は見られず、この八相が選ばれたのは釈迦の聖地巡礼と関係するものと思われる。 (3)「両脇侍菩薩をとる仏三尊像」は、主尊が触地印仏坐像の作例が多く、与願印もしくは施無畏印をとる仏立像の作例もあるが、それらの両脇侍の大半は、蓮華を持つ観音菩薩と龍華を持つ弥勒菩薩としており、この形式の仏三尊像は釈迦・観音・弥勒と推定される。それ以外に観音・金剛手、弥勒・文殊を両脇侍菩薩とする仏三尊像もあり、その場合主尊は密教仏の可能性があるが、そのような作例は少ない。 (4)「宝冠仏」の作例は多いが、仏伝釈迦もしくは釈迦三尊像として表される例が多く、宝冠仏も釈迦像として造像されるのが一般的であった。 (5)「密教仏」として、大日・阿〓・宝生・阿弥陀・不空成就の五仏をセットにして表す例が、門・基台・尊像の光背などに数多く見られる。またこれら五仏のうちの単独の密教仏も、尊像の像容・印相・基台や光背に表されたモティーフを検討することによって、幾つかの作例(大日・阿〓・宝生・不空成就)を同定することができた。
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