今年度は、民間伝承がギリシア・ラテン文学にどのように摂取され、変質・深化させられているかを具体的な作品に即して考察した。民間伝承の文学化のあり方を考察するためには、同じ民話を用いた別個の作品を比較するのが有効であった。一つ目の鬼を退治する民話は世界的に広まっており、ホメロスはこれを叙事詩に組み込むことによって知略と好奇心にとんだオデュッセウスという英雄の性格を際立たせ、物語の魅力を増しているが、エウリピデスは同じ民話をサテュロス劇『キュクロープス』に利用することで何を主張しようとしたのか。サテュロス劇は一般に深刻な悲劇に添える茶番劇のごとくに考えられているが、『キュクロープス』をトゥキュディデス『歴史』の記事と比較するならば、茶番劇の仮面の下にエウリピデスの痛切な戦争批判を読み取るべきことが明らかになった。ここでは人食い巨人を退治するオデュッセウスは英雄であるどころか、人食い巨人と変わるところのない戦争犯罪人とされているのである。『トロイアの女』のような正面切った戦争批判ではなく、滑稽な民話に隠れてそれを行わなければならなかったのは、ペロポネソス戦争下の言論の自由の危機がそれだけ深まっていたということであろう。 サテュロス劇は現存作品はただ一つ、あとは断片しか残らぬため研究が困難とされるが、伝えられるタイトル及び断片からは、民話をテーマにした作品の多いことが知られる。したがって、失われたサテュロス劇の復元には、近代に採集記載された各国の民間伝承との比較が極めて有効であり、たとえばアカイオスの『アイトーン』はグリム昔話集第68番その他との比較によって、筋を復元できた。
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