フッサールの他者経験論の問題点を相互主観性の形成過程に焦点を絞り、『デカルト的省察』、『相互主観性の現象学のために』に収められたさまざまの草稿、並びに他の諸著作において、フッサールが相互主観性理論を「モナド」という思惟動機に導かれていかに構想していたのかを考察した。相互主観性理論は客観的世界を超越論的に基礎づけるという目的をもつ。フッサールは客観的世界の構成ということを絶えず念頭において相互主観性の問題を扱っている。その際、客観的世界は「各人にとっての世界」であるから、他者が当然問題となる。この他者をどう経験するかが他者経験の問題であった。『デカルト的省察』での類比化的統覚の理論としてのフッサールの他者経験論は、ヘルトが指摘したように、他者の主題的把握にとどまり、非主題的に機能する共同主観としての他者の把握には至っていない。しかし、フッサールは『デカルト的省察』で他者経験論を提出する以前にすでにさまざまの時期に他者論をモナド論という形で構想していた。フッサールが長年構想していたモナド論は『デカルト的省察』でのモナド論よりも本来豊かな内容をもち、それにはさまざまの要素を指摘することができる。われわれはシュトラッサーとヘルトの研究を手引きとして、さまざまの草稿に見られるモナドの記述から、モナド論としての相互主観性の現象学を時間性の面も考慮にいれて再編成する手がかりを得ることができた。この研究の成果として、「原初的に交流するモナドの共同体」に注目したい。これは相互主観性のコミュニケーション的な共存のあり方を解明するのに一つの示唆となるであろう。
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