今年度の私の研究対象であるクザーヌスの中期の著作には、極めて明白に彼の自然哲学の特徴が示されている。それは典型的には、“Idiota de staticis experimentis"(『秤の実験についての俗人考』)に見られた。ここでは、秤による重量の計測を基盤としつつ、世界の森羅万象の質的相違を量的比較から解明することが試みられている。例えば、尿の比重や呼吸数を計ることによって人の健康状態を判断したり、溶解状態の諸金属と溶解状態のロウの重量を比較することで、諸金属の間の性質の相違を明らかにしようとしている。このようなクザーヌスの思索に近代自然科学的な方法を見出すことは、カッシーラー等も指摘しているように容易なことである。しかし、この「科学的」探究を支えているのは、この書物の冒頭に記されている次のような前提的確信である。「ある預言者も言っている通り、重さと天秤は万物の創造主の判断である。創造主は万物を、数、重さおよび長さの尺度で創造し、また水の源をはかり地の量を計ったのである」。つまり、昨年度の研究で私が指摘したように、神の被造物たる宇宙に神によって予め秩序が内在しているから、その秩序を発見することは、人が神を讃美することになるという、現代の自然科学ではおおよそ非科学的な予見によって推進されている自然研究なのである。またここには、人間も自然も、その両者で形成されている社会も、すべて神の被造物として同じ秩序を有しているという確信も存在している。この点にクザーヌスの自然哲学の特徴があり、これはまた以後の西欧の学問の展開の行方とも密接に関われることになるだろう。次年度はさらに後期を研究対象とする予定である。
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