本研究は、法相宗の根本聖典である『成唯識論』を基に、唯識の哲学思想の内容と意義とを解明しようとしたものである。『成唯識論』は、漢訳文献であるが、当時のインドの思想界の状況を豊かに伝えてくれている。テーマは、認識論においたが、唯識思想ゆえにおのずから存在論等も扱うこととなった。 平成3年度の研究成果としては、特に『成唯識論』の伝える安慧の認識論・存在論について、詳しく解明した論文をまとめた。そこに見られる安慧の三性説は、サンスクリット語・チベット語文献に見られるステイラマティのそれと必ずしも合致しないこと。また、安慧の相分・見分を遍計所執性と見る理論は、護法の批判に照らしたとき、種々の問題があることを指摘した。 平成4年度の研究成果としては、唯識学派における認識に関する理論の展開についての論文をまとめることができた。唯識の、外界なくして認識が成立すると説く、その構造がどのように考えられてきたかを、弥靭・無著・世親・陳那、そして『成唯識論』等に辿ったものである。その中には、二分説的表現や三分説的表現があったが、いずれも相分、見分の二分は依他起説であるとしている。平成3年度の研究成果と考え合わせたとき、唯識の源流から、安慧のような認識論はなかったことがはっきりしたのである。 なお、従来、私は三性説研究を行ってきた。本研究は、私の三性説研究の一環として行われたものであるが、2年間の本研究の遂行を通じて三性説研究をまとめ、学位請求論文としえたのは幸いであった。
|