研究概要 |
今回は旧高城郷の中方・香禅寺を具体的調査地域として選択し、従来から現地調査を実施してきている旧志和池郷の「かくれ念仏」と対比させつつ、霧島周辺地域に残存する「かくれ念仏」信仰について実証的研究を進めた。両旧郷は隣接しているが、「かくれ念仏」信仰の保持と伝達に関しては,類似と差異が観察される。両地域の「かくれ念仏」の信徒は、「シント」と自称し、「ブッド」と彼らが称する人々と自らを区別し、神社に帰属する形で信仰を展開し、諸寺との関係が極度に希薄である。 両郷において、「シント」は「御座」と霊能者を共有し、霊能者の神がかっての語り(霊能者は死者となって生者と語る)に強度の社会的信頼を置いている。信仰の細胞も「家」を代表する夫婦一組が原則であり、家族全員が「シント」になる形式をとらない。ただし、旧高城郷の香禅寺には「シント」のメンバ-シップを獲得するのに、後者のおける「オヤコナリ」のような擬制的親子関係や入信儀礼の慣行はない。 両旧郷の「かくれ念仏」をめぐる差異は、経文・祈りの領域で最も顕著である。旧志和池郷では経文は黙して心中で唱えるが、旧高城郷ではそれは誦される。経文の内容は神降し・葬送・供え物の頂き・年中行事等の場面において文言内容が異なっている。経文内容の分析的研究は今後の重要な課題である。 墓標に関しては、墓石500余柱から記録したが、「・・・信士」「・・・信女」の戒名が寛政・宝暦年間を貫き、明治以降実名の墓碑となっている。戒名は妙・法の字を多く含み、6〜7字から構成されている。墓標に関する原資料の発掘は、当該地域の「かくれ念仏」信仰の歴史的展開の解明に寄与しうるという意味で価値のある成果と考えられる。
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