香禅寺・中方地域の「かくれ念仏」信仰は、本家筋の夫婦一組だけが信徒となる。信仰は個人よりも「家」の問題である。信仰は対仏教集団だけでなく、信徒以外の全員に隠されていく。信仰の秘密を保つ範囲は、「かくれ念仏」信仰の信徒10組〜30組位から構成される「流れ」と呼ばれる宗教集団内である。香禅寺に3、中方に3の「流れ」が現存するが、これらの「流れ」間に信仰に関する連絡や協同は殆ど存在しない。相互に分立し、独立している。「流れ」は「寺元」を頂点とするヒエラルヒーを組み、入団に際しては「お願立て」なる入信儀礼を行い、信徒一組と入団者一組との間で擬制的オヤコ関係が結ばれねばならない。「流れ」の信徒は諸寺に帰属せず、神社の氏子である。「流れ」は各々経文と儀礼慣習を保持してきている。「流れ」間に経文と儀礼慣習の変異は相当存在するが、それらの変異を越えて阿弥陀信仰、浄土観念、汎神的思考、祖先崇拝的心性等が色濃く観察される。「かくれ念仏」信仰集団を、仏教徒集団から区別する顕著な領域は、「御座」とそこでの最重要テーマである神がかりである。霊能者が神がかって語る内容に対する信頼は、諸「流れ」によって共有されている。不安の立て直し、病気治療、「寺元」の選定、強度の彼岸性等は、年に20〜30回開かれる「御座」と、死後7日以内を目処に行われる「御座」(「後座」「アトギネン」)によって強化されてきた。諸「講」は、「かくれ念仏」信仰集団が村落生活を営む場面で外集団に対し開いてきた部分である。「流れ」の中に閉鎖せず、「流れ」を越え、地域内で生きる断面である。「かくれ念仏」信徒の墓石に関しては、74の法名(戒名)が発掘された。それらを(1)「信女」(2)「信士」(3)「法名釋」(4)「禪」の文字を含むかどうかで分類すると、(1)(2)は近世後期に集中し、(3)は近現代に集中していることが判明した。
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