ヘーゲルの社会倫理が常に彼自身が生きる歴史的現実との対決において形成され、展開されているかぎりで、咋年度は若きヘーゲルが生まれ育ったヴェルテンベルク公園の歴史、ことに政治事情と宗教事情について さらにフランス革命下におけるヴェルテンベルク公園の動靜について調べた。そして、ことに今日「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」と言われる断片を、社会倫理的な観点からの読解に努めた。今年度は咋年度の成果を承けて、初期のカントセフィヒテの実践理性の自由を高唱する立場から、ヘーゲル独自の歴史的理性の発見に至るヘーゲルの思想発展を、対仏同盟戦争に揺れ動く祖国ヴェルテンベルク公団の政情、そこでの改革運動の高揚と挫折、これに打ち続くドイツの敗戦との関係で跡づけることに努めた。この研究で知り得た成果を挙げれば下記のようになろう。 一般にヘーゲルの思弁的理性と言われるものの本値は歴史的理性であること。そして その意味する事態は二重であること。すなわち、一方では、カントセフイヒテの実践理性とは異なり、それ自身を歴史化しているということであり、他方では、啓蒙によって神を喪失した理性が新たに歴史の内にそれの基礎づけてもとめたということである。そして、このことを社会倫理の観点からすれば、自由と共同との統一から成る人倫的国家としてのドイツの再生を願うヘーゲルにとって、この民族生活の〓帯となる精神的基礎に、彼岸に〓ぎ見られる神 代わって、歴史に生きる神、つまりヘーゲルの言う精神が見出されたことを意味する。イエナ期に入ったヘーゲルが、カトリックとプロテスタントとに対して、言わば第3のキリスト教の在り方を模策する所以である。何らかの宗教なしに国家は在立し得るか、このヘーゲルが逢着した問題は、政教分離の問題と絡めて、今日でも新しい問いと言えよう。
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