報告書は、第I部と第II部より構成され、第I部では演奏様式論、第II部では江戸時代末期の雅楽演奏の実態について記されている。第I部第1章は、雅楽の術語についてのフィロロジカルな研究を通じて、雅楽が江戸時代に礼楽思想の影響で精神修養の手段として評価されるようになったため、それにふさわしい荘重様式が作り出された過程について考察した。それは、音楽的には演奏様式の緩除化に他ならなかった。すなわち、『楽家録』では拍を4分して、演奏に際しての当り所を説明する。このような拍分割の発想はそれまでの楽書に見られないところであり、これは江戸時代の雅楽の演奏速度が遅くなっていたことを傍証するものである。第2章は、演奏様式の歴史的変遷について、楽譜、演奏、音楽ソフトによる実験演奏により考察した。古譜をそのまま演奏した場合の軽快さに対し、現行の演奏慣習のもつ威儀的性格、様式化は18世紀に成立したものと思われる。実験演奏では、速度とリズム・パターンとがそれぞれ一般的性格と具体的事象の表出に関ることを明らかにした。 第II部第1章は、江戸時代に成立したと思われる雅楽譜の構成曲目を調査した結果、江戸時代末期には演奏されていた雅楽の曲目は「八十八曲」に数曲を加えたもので、これは明治21年に選定曲を追加して完成された『明治選定譜』の構成曲目と同じであったということを明らかにした。第2章においては、江戸時代に、雅楽が中央から地方へと、どのような手段、方法により伝播したのかについて『楽所日記』の記録をもとに調査を行った。その結果、中央の三方楽所楽人が、地方への雅楽の伝播について熱心に関っていたこと、さらに、これについては真宗寺院の僧侶たちが深く関っていたことが明らかとなり、また、武家の間でもかなり広く雅楽が伝習されていたことも確認された。
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