1.世界情勢の急変により、南北朝鮮の対話が急展開したことに伴ない、特に韓国における北朝鮮教育に関する研究成果が刊行され始めた。そうした著書・論文の収集分析を通じ、解放(1945年)後における南北朝鮮の教育改革の全体像が次第に明らかになってきた。また韓国については、アメリカの国立公文書館の資料の公開が進み、米軍統治期(1945ー1948)の教育改革の実態を把握することが可能になった。北朝鮮およびソ連サイドの資料は、今なお十分に公開されてはいないが、近い将来、公開される可能性が高まっている。 2.南北朝鮮の教育改革は、時の政治状況に従属した形で展開されてきた。特に米ソの直接統治期(1945ー1948)においては、いわゆるアメリカ・モデル、ソ連モデルの教育改革が行なわれてきた。ところが、その間、外国モデルの受容と併行して、「独自モデル」の模索が南北朝鮮のそれぞれにおいて行なわれてきたことが、種々の文献を通して確認された。このような自立化過程を通じて、韓国の「国籍モデル」、北朝鮮の「チュチュ(主体)・モデル」が形成されてきたことが明らかになった。 3.1960ー1970年代の南北朝鮮の教育改革は、独自路線を前面に出し、民族・国家意識を強烈に意識した形で進められた。ところが1980年代に入り、国際情勢が大きく変化したことも手伝って、硬直したイデオロギ-教育に修正が加えられ始めている。特に南北朝鮮相互がそれぞれの教育のあり方(特に教育内容)を非難する従来の姿勢に変化が見られ始めている。韓国側の「反共教育」もかつてのような激しさはなくなり、北朝鮮側の韓国教育批判(「独裁国家の非民主的教育」といったスロ-ガン)も、徐々に軟化してきている。南北朝鮮の教育改革は、21世紀の早い時期における「統一」を念頭に、双方(の審議会等)において青写真が描かれ始めている。
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