本研究は産業報国運動、特に大日本産業報国会における「勤労管理」の研究・実施について調査することにあった。その研究目的は、大日本産業報国会における「勤労管理」が近代日本の労資関係を徹底的に凝縮し、いわゆる「日本型経営」の基盤となる特殊な集団主義的労働者統制を創出したことを実証しようとするところにある。こうした問題意識については桜林誠氏・西成田豊氏などの先行業績があるが、本研究では大日本産業報国会技術者会議(昭和16年11月)、同第2回技術者会議(昭和17年11月)などに注目し、同関東地方勤労協議会「決戦勤労管理必携」(昭和19年10月)等の資料と関連させて検討した。 1.産業報国運動における労働者統制の基本理念は「皇国産業」に立脚した「産業報国」であるが、これは「職域奉公」を通じて「企業一家」と結合し、労働者が集団的に企業に従属するという労資関係が徹底化された。そして、これは「日本型経営」の基盤を固めたといえよう。 2.近代日本の工場における「職長制度」は産業報国運動の推進に活用された。職長は中間管理職として一般労働者を管理するとともに技術の修得を義務づけられ、産業報国運動の自覚的推進者となる。「決戦段階」では労働者の欠勤防止、学徒・女子挺身隊の労働力管理を現場で担わされ、軍隊的編成の採用とともにますます重視された。こうした職長の活用は、「日本型経営」の柱の一つになっている。 3.産業報国運動は基本的に精神運動であったといえるが、その「勤労管理」のなかには企業の要求により科学技術の改良・交流等の課題がとりあげられた。当時の科学技術の低い水準と戦局の悪化のなかで結実することは少なかったが、「日本型経営」のあり方と関連して注目したい。 主な問題点についてのみ述べたが、産業報国運動と女子労働の問題、社会大衆党・日本労働総同盟との関係など多くの課題を残している。
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