研究概要 |
昨年度、東大史料編募所の架蔵史料、とりわけ戦前に採訪された台紙付写真や寺社関係の謄写本など、これまであまり取りあげられて来なかった素材から、豊臣秀吉およびその一族の発給文書を中心に検討し、幾つかの新事実を明かにしたが、本年もこの作業を継続するとともに、大阪城天守閣所蔵文書の悉皆調査と、内閣文庫所蔵の古文書類の総点検を行った。大阪城天守閣には、「目録」未収録の館蔵文書のほか、かなりの点数の寄託史料が架蔵されている。これら寄託史料の原蔵者の了解を得たうえで調査し、必要なものは写真撮影を行った。秀吉朱印状など多くの未発見文書も含まれている。内閣文庫には多くの写本類のほか、江戸時代の大名家・公家・寺社・文人等が独自の関心や目的のもとに作成した分書集が架蔵されている。内容は玉石混淆で偽文書も含まれ、厳密な史料批判が必要なことは勿論であるが、他に典拠が得られないものもあり、何よりも、秀吉文書の江戸時代における伝来系統を考えるうえで貴重な手縣りを与えてくれる。これらの文書に、どのような奉行人が連署しているかを個別に検討していくなかで、豊臣政権における奉行人組織の全容を明かにしていかねばならないが、今は中間総括の段階にある。 奉行人組織の全容を解明するもう一つの手縣りは、秀吉の家臣団組織のなかから考察することである。近性古文書学のうちでも時異な存在とみなされる「陣立書」の初見が、天正12年(1584)の小牧・長久手戦の折に秀吉が発給したものであることは、昨年度の研究成果として報告したが,本年は長久手町役場刊行の『長久手町史・資料編六』において、陣立書の全容を明かにし、それぞれの時点における軍事編成のなかから、奉行人組織の萌芽的形態を抽出している。この“長久手合戦史料集"は、秀吉側,家康・信雄側の発給文書や記録類を網羅した、千二百ページにのぼるもので、研究の進展に寄するものと思っている。
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