本研究の目的は、熊野三山(本宮・新宮・那智)のうち、那智山が室町・戦国時代に熊野信仰の中心になることの歴史的意義を解明することにあり、次の二つの課題を設定した。 (1)那智山を描いた参詣曼荼羅は十数本も遺存しており、各々の伝来の経緯を明らかにすると同時に、構図・図像の異同関係も分析する。 (2)那智山に伝来する数百点の旦那売券を収集・分析することにより、熊野信仰の全国的な広がりを歴史的に跡づける。 (1)については、各地の所蔵者を訪問して原本を精査し、また写真版による資料の収集につとめた。それらについて、構図・図像の分析を試みた結果、2〜3の系統に分類できる仮説を立てることができたが、なお未見のものも多く、精査を継続したい。個々の図像を現地に比定する作業も実施し、大半の図像については解明することができたが、比定の困難なものが若干あり、さらに調査を続ける必要がある。 (2)については、原本あるいは写本によって公刊本の誤読を正す作業をまず行い、多くの成果をあげることができた。ついで、その全体を系統的に分析する予定であったが、類似した研究が発表されたので、地域を限定した研究に方針を転換した。主に近畿地方の旦那と先達の分布を詳しく分析し、大阪府下の旧豊島郡に関する研究成果をとりまとめた。 この他、研究の途中で、那智山をふくむ熊野三山全体の動向を解明する必要が生じたので、やや当初の目的からずれるが、熊野別当家と源平内乱及び承久の乱とのかかわりについて考察し、旧来の研究の誤認を正すことができた。 以上が2年間の研究成果であるが、予備的考察にとどまった点も多いので、今後とも熊野研究に取り組む予定である。
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