日本古代の南島に関する史料はきわめて限られている。そのためわずかな史料にもとづいて、昨年度までは覧国使派遣の問題や遣唐使航路の問題を検討してきた。残るは推古紀にみえる掖玖関係記事の検討のみである。しかしあまりに記事が断片で、それだけではどうしようもなく、さまざまな関連史料を可能な限り駆使して当該期の南島の解明と行なわなければならない。そこで注目されるのが、日本側の史料ではなく、中国の史料すなわち『隋書』流求園伝である。『隋書』の流求が今日の沖縄であるとなれば、6世紀後半から7世紀初頭における南島社会の状況を知る上での唯一の文献史料として大いに利用することが可能となる。 ただしこれについては、従来から沖縄か台湾かということで議論がありいまだ決着をみていない。したがってその利用にあたっては慎重にならざるをえない。以上のような現状をかえりみた時、とりあえずはこれまでの研究の全容を知る上でも、一度交通整理をしてみる必要があると考え、『隋書』流求伝に関するすベての文献および研究論文を収集し、その研究史、そして『隋書』流求伝の記事についての注釈を試みることにした。こうした作業は従来だれも行っていないので、今後の『隋書』流求伝研究に寄与するところは大きいと思われる。これを基礎にして、推古紀の掖玖の問題に取組むことが次の課題である。
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