本研究では、古代宮都における内裏関係史料の検討とそれに基づく内裏の構造に関する歴史的研究を推進すること、特に平安宮に結実する内裏の空間構造の起源とその歴史的背景の解明を課題として、内裏関係史料の収集・整理を行い、それをPC上でデータベース化して研究を行った。その結果、以下の点を明らかにすることができたと考えている。 (1)今日に残された史料から内裏(天皇の住居)の構造や機能を詳しく知ることのできるのは平安宮の内裏だけであり、それは基本的に次ぎの5つの空間から構成されている。すなわちI天皇の公的生活のための空間、II天皇の私的生活のための空間、III皇后の生活のための空間、IV後宮、そしてV予備的な空間、の5つである。 (2)(1)のような空間構造は既にその前の長岡宮における第二次内裏で確認でき、さらにそれは奈良時代末期の平城宮の内裏に遡り、平城宮の内裏では光仁天皇の時代に皇后の空間が成立し、また次ぎの桓武天皇の時代に後宮が成立して、ここに平安宮に見られる内裏の空間構造が生れた。 (3)(2)の歴史的な背景として、古代の貴族社会が母系制から父系制へと転換することと並行して、天皇に等しい権力をもっていた皇后がその権力を失って天皇の妻の一人となったことや、また内裏に天皇の妻たちが住むための後宮が形成され、女性の身分や権限が低下させられたことなどがある。 (4)以上のようにして生み出された平安宮内裏の空間構造も当初は固定的なものでなく、天皇に皇后や後宮がいない場合にはその居所が内裏内部に設けられなかったと考えられ、それがのちの平安宮内裏を描いた古図に見られるような形で固定化したのは嵯峨天皇の時代であったと考えられる。 なお今後の課題としては、第一に平城宮以前の宮における天皇の居所について発掘調査今後の進展を受けて検討を行うこと、また内裏の変化に伴い、宮人・女官など天皇や皇后・後宮に奉仕する女性たちの奉仕や存在の在り方にも変化が生じたものと考えられ、この点について集中的な検討を行うこと、さらに平安宮内裏のその後の動向を追い上述した空間構造が崩壊して行く過点についても明らかにする必要がある。
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