研究概要 |
当該年度の研究計画としては、1930年以降、今日までに出土した簡牘資料を辺境出土簡と漢墓出土簡に大別して、一簡毎に写真をとり、それを台紙にはり分類・整理することであった。作業は、当初予定の三分の2の整理を終えたが,平成3年夏に中国から新たに新出土簡の報告書が出された。それは、敦煌馬圏湾から出土した1200枚の木簡の全写真であり、これまで一部しか発表されていなかった馬圏湾出土簡の全容が公開されたことになる。私自身、かつてその一部のみを利用して論文を発表したのであるが(「漢代辺境の関所」)〈東洋史研究〉48ー4)ここに早急にかつての所見を検討しなおさねばならなくなった。ただ、今のところ私見を大幅に修正せねばならない身態には、幸いにもたち至ってはいない。簡牘資料のカ-ド化について言えば、この馬圏湾出土簡についても、新たに着手せねばならず、平成3年秋からそれを始めている。 平成3年8月に、中国甘粛省蘭州で国際簡牘学会が開催され、私もそれに出席し、発表を行なった。その〓、1990年に新しく発見された漢代遺址を見学する機会を得た。その遺址は、敦煌県東北の懸泉置遺址であり、そこは従来の〓燧遺址ではなく、郵亭の遺址であり、そこから大量の木簡が出土した。これまでの簡牘出土は、辺境地帯につていみれば、全て軍事施設の遺址に限られていたが、今回初めてそれ以外のところからの木簡の出土をみたのである。その結果、軍事遣址とそうでない遺址の両者の出土簡が、どの様な異なる特徴と様式を有するのかという問題の解明に光明がみえてきたのであり、その意味で、将来の懸泉出土簡の公開に備えて昇急に〓燧出土簡の整理を終えねばならない。
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