研究概要 |
本研究は,ヴァイマル期における産業合理化と労働者・労働組合との関係,および労働者生活圏の変容と労働者文化・大衆文化との関係をテ-マとするが,本年度は主に第一のテ-マを検討した。 1.ヴァイマル中期(1920年代)に始まった産業合理化は,一方で企業の再編=独占化の傾向を顕著にするとともに,地方で機械化・規格化・流れ作業化により,労働の強化・単純化・非熟練化と構造的失業をもたらした。機械の導入が労力の節約となった側面は否定できないが,労働者の対応は概して否定的であった。機械工業ではある程度まで流れ作業化が進み,一部の基幹熟練工を温存しつつ,労働者の差別・分断化が推し進められた。炭鉱業では,これまで主に手作業で行なわれてきた労働現場の機械化・集約化が劇的に進展し,労働効率が大幅に上がる反面,労働者の連帯の構造が破壊された。 2.こうした状況に直面して,ドイツ労働総同盟(ADGB)は,現場の労働者よりも肯定的に,産業合理化を技術的進歩と生産性向上,生活水準の改善に不可欠と捉えた。タルノフは,フォ-ド・システムに倣った大量生産と価格低廉化,そして何よりも賃金上昇による国内需要の増大に経済危機の活路を求めた。ナフタリらは,労働者の参加,労働組合の共同決定権を確保しつつ,合理化を推進することに,社会主義への道としての「経済民主主義」の実現をかけた。この裏にはしかし,労働の変質と労働者の経営内自治を軽視して,国家による労働粉争の仲裁を期待し,労働者の余暇・消費活動の充実に空しく努める労働組合の姿があった。さらに,ADGB系労組が公的な失業保険の制定を要求する一方で,失業者への組織的取り組みに立ち遅れたことは,世界恐慌下に組合組織が著しく弱体化し,失業者が共産党やナチ党に流れる一要因となったことも見逃せない。
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