1大分県日田市で発見され現在同市博物館に保管されている諌山菽村に関する特に書簡を中心とした文書の整理・調査をおこなった。 2諌山菽村文書を整理する段階で、当初の課題とした菽村宛来簡以外に咸宜園の関係者・友人や親族(菽村の子半一郎等)の書簡類、養育館に関する公的および私的文書類、本業である地方医務に関する書簡や公文書類が分類された。その他、数は少ないが漢詩文草稿類も発掘された。 3孤児収容施設養育館の関する公文書ならびに地方医務に関わる文書を解読することにより、その背景にあった当時の社会情勢や具体的な組織の運営方法が浮かび上がってきた。この調査は、当初の研究課題からは幾分逸れるものとなったが、その資料的価値は大きいので書簡以外の文書も含めて一覧できるようにした。 4菽村宛来簡を中心に、咸宜園関係者の書簡を年代別・人物別に分類し、咸宜園終焉期の状況を書簡を通してできる限り詳細に記述した。 5その他諌山菽村差出しの書簡や、菽村以外の人の書簡・文書も混じるが、上記1〜4に関わるものについては当時の文化状況を伝える資料として意義があると思われるのでできるかぎり採録した。
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