研究課題/領域番号 |
03610236
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研究機関 | 東京工業大学 |
研究代表者 |
玉泉 八州男 東京工業大学, 工学部, 教授 (80016360)
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研究分担者 |
野崎 睦美 東京工業大学, 工学部, 教授 (70016632)
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キーワード | デコ-ラム欠如としての悲喜劇 / 宗教劇の普遍的形態 / 「雑種」的性格のもつ娯楽性 / 古典と大陸への目配り / 洗練さの代名詞としての悲喜劇 |
研究概要 |
ルネサンス期の悲喜劇は、古典古代と中世という二つの起源をもっている。演劇的規律(デコ-ラム)が定まっていた古典期においては、悲劇に現われるべき神々や王が喜劇に登場することは、「逸脱」として捉えられたはずである。しかし、現実においては『アンピトルオ』のような作品はみられたし、半ば厳粛で半ば滑稽なサティロス劇といった茶番狂言がジャンルとして存在していたのも、また事実であった。 宗教的意図の下に人間の運命を造り中世劇の世界では、事情は自ずと異なる。神の眼からは人間の悲劇も喜劇と映るとすれば、人間存在そのものが本質的に悲喜劇により、その救済パタ-ンもまた悲喜劇的にならざるをえない。しかも、その過程すら人間の眼からはどうしても深刻に映ってしまうから、喜劇的息抜きが不可避となる。さらに、教訓ないし説教をそこにみようとする民衆からいえば、詩的正義のないものには満足できない。デコ-ラム云々とは無関係に、中世劇は悲喜劇基本性格とするものを、いわば義務づけられていたのであった。 ルネサンスの訪れの遅かったイギリスでは、当初すべての大衆劇は中世劇の延長であり、従って悲喜劇であった。これは喜劇的場面を含む『キャンバインス』のような悲劇に当嵌るばかりか、『ディモンとピシアス』といった喜劇にもいえる。つまり、古典理論がルネサンスの本格化とともに導入される迄は、演劇はすべて「雑種」であり、それ故素朴な一般大衆相手に隆昌を極めたのであった。 イギリス演劇史上通常悲喜劇の名で呼ばれているジャンルの成立は、それとは全面的に背景を異にしている。洗練さの代名詞のようなこのジャンルは、娯楽としての演劇が定着したのを見極め、新しい世代の劇作家たちが己れを語りうる文学としての台本創造を目指し、眼を古典古代と大陸に向けた時に発見した、新しい演劇のいわば総称たったのである。
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