研究課題/領域番号 |
03610236
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研究機関 | 東京工業大学 |
研究代表者 |
玉泉 八州男 東京工業大学, 工学部, 教授 (80016360)
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研究分担者 |
野崎 睦美 東京工業大学, 工学部, 教授 (70016632)
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キーワード | 17世紀初頭における劇の変質 / 韜晦癖に都合のよいドラマツルギー / 宮廷悪批判としての絵空事の世界 / 処方箋なき都合悪の提示 / 知的遊戯がもった意外な実用性 |
研究概要 |
17世紀初頭のイギリス演劇における少年劇団の復活は、娯楽本位の大衆劇と文学的リアリティをもった劇に二分されて然るべき時点に当時の演劇がさしかかっていたことを示す何よりの証拠であった。物理的条件の整った劇場で上質の劇を提供する彼らの劇は、直ちに劇壇を席接し、主役の座にのし上るに充分な資格を備えていたのであった。 少年劇団が主役になることでおこった最大の変化は、成人劇団が彼らの体質をすぐに模倣し、劇の全体的質が改まり、結果的に少年劇団が存在事由をなくし、崩壊に追いこまれたことである。これによりイギリス演劇は参加の劇としての臍の緒をなくし退嬰化するが、悲喜劇という新しいジャンルがこの流れを加速させた。この新参のドラマが受けた理由は、当時の社会の不透明さ、選び決断する能力を失くしさ迷う心を映すに適したつくりをもっていたからと思われる。つまり、矛盾や逡巡を整理せずにそのまま生かし、スリルを楽しみつつ結論は曖昧にすておくことができる、時宜をえたドラマツルギーにこそあったのである。 この韜晦癖に都合のよいドラマツルギーは、王権が弾圧的な姿勢を強める一方、民衆的基盤を失くしたエリート演劇がそこに寄生する度合いをますにつれ、重宝されることとなる。まともな批判を封じられた分だけ、演劇人たちは絵空事の世界の寓意にその気持を托そうとするからだ。ボーモント・フレッチャーやマッシンジャーの牧歌劇や政治劇は、彼らの苦汁やペシミズムの反映でもあったのである。 だが、彼らのペシミズムは宮廷悪にのみ向けられていたわけではない。ミドルトンといった当代を代表する劇作家は、先輩諷刺作家とは異り、都市の腐敗堕落を眞向うから憤ることはしない。改革への意志をもたず都市化が生みだした人間悪を、処方箋を与えずにただ提示する。知的遊戯の面が強かったジャンルは、意外な実用性をも備えていたのである。
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